サットキリン・カー来日公演 キールタンコンサート
サットキリン・カー・カルサ来日
キールタンコンサートに出演します。
【出演】Satkirin Kaur Khalsa(ボーカル、ハルモニウム)、Ferenz Kallos(バイオリン)、指原一登(タブラ)
【日時】11/2(水) 19:00~20:30 開場18:00
【会場】赤坂区民ホール 港区赤坂4-18-13
【参加費】ドネーション(申込不要、入口にて募金をお願いいたします。)
【問合せ】クンダリーニヨガ
キールタンに馴染みのある方には、有名なキールタンアーティストの初来日ということで貴重な機会になると思います。
”キールタンとは、インドの賛美歌を集う人全員で歌い、その音と波動に瞑想します。サットキリンは、インドで多くのキールタンマスターより神聖な言葉をシャバッドと呼ばれる音楽に乗せ歌う深い瞑想法を学びました。音楽及び神聖な音として知られるナードヨーガを通じて人類の意識を高める為、ニューヨークで40年以上キールタンアーティストとして活躍してきました。”
〜クンダリーニヨガ 東京HPより
と書かれていますが、瞑想やスピリチュアルに特に興味がなくても、誰でもシンプルにリラックスして聴ける音楽であるので、ぜひお気軽にご参加ください。
コラム「キールタンの謎」
個人的に感じていたキールタンの”謎”について少し書いてみました。
なにが”謎”なのかというと、今までインドと関わってきた中で、キールタンというものには触れたことがなかったからです。
インド音楽から「キールタン」というキーワードにはなかなか触れる機会がありませんでした。
キールタン広く宗教歌のことを指すらしいとある時聞きました。
でも宗教歌としてはバジャンという歌が歌われているのは知っていましたが、キールタンという言葉はインドではなく日本で知りました。
そして「キールタン」と言っても色々あるようですが、まるでインドと関係のない西洋音楽もキールタンと呼ばれていたりして、実際かなり混乱していました。
そういうわけで”謎”に思っていたのですが、その”謎”の原因をまとめてみると次の二つの点に集約されました。
謎①:インド発祥というのに、なぜアメリカ経由なのだろう?
謎②:インド発祥というのに、なぜ音楽的にはインド音楽ではなく、西洋音楽なのだろう?
この機会にいろいろ調べてみて、現時点で分かったことと、私見を少し書いておきます。
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まずクンダリーニヨガというのは、日本ではまだあまり知られていないヨガで、気づきのヨガとも言われているそうです。元々はパンジャーブ地方のシーク教徒の間で秘伝として師から弟子へ受け継がれていたもので、ヨギ・バジャンという人が初めて広く一般にも公開したものです。そしてこの人が教えを広めたのがアメリカだったということなのです。
ヨギ・バジャンについてかなり簡単に紹介すると、1929年パンジャーブ地方の生まれ、16歳でクンダリーニヨガのヨガマスターの称号を与えられる。1947年のインド・パキスタン独立時の混乱を極めるパンジャーブを経験したのは18歳。60年代後半にカナダのトロントへ招聘され渡ったものの、不幸が重なり散々苦労したのちヨガ教師として活動を始める。その後アメリカに招聘され、そこで多くの人々が真理に飢えていて、またそういった希求の魂に多く触れたことで、西欧社会に引きつけられることとなる。しかし当時は数世紀に渡るタブーを破ってまでクンダリーニヨガの秘伝を公開したにもかかわらず、折しもドラッグカルチャー真っ只中のアメリカでは多くの若い生徒がドラッグをやっていた。「私は、生徒を集めるために来たのではなく、教師を育てるために来たのだ」と自らの使命を語り、腰を据えてクンダリーニヨガの精神を広め、人々の人生と世界をより良くすることに身を捧げた人であるということです。
参考:https://www.3ho.org/yogi-bhajan/about-yogi-bhajan
まず謎①このクンダリーニヨガとそれに伴うキールタンは、インドから広まったのではなく、アメリカから広まったという理由がわかりました。それ以前は秘伝として外部には伝わっていなかったわけですから。
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もう一点、謎②音楽的になぜインド音楽ではなく西洋音楽な理由について。この点は私見になりますが、音楽を言語に置き換えて考えてみると分かりやすいのではないかと感じています。
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まず、インド音楽を構成している要素はメロディーとリズムです。これに対し西洋音楽の構成要素はメロディー、リズムにハーモニーという要素が大きな役割を占めます。インド音楽では、メロディーとリズムの要素を極限まで進化させたラーガやターラというシステムを使っています。
「ナードヨガとは、舌や口の動き、脳内の化学反応の変化を通して、音の振動が体・心・魂にどう影響してくるかを経験することに基づいている。我々は、脳内の化学的構成を変えることで、意識を変えることができる。」
とあります。
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インド音楽の習得は、言語の習得に似ています。教科書で単語や文法を覚えただけではコミュニケート出来ず、本当の音の出し方、使い方、その意味やそれによって何を生み出すかなどは、師弟の強い関係性を通して得た体験でしか習得できないからです。ちなみに、その習得に当たっては人の一生では足りないとすら言われています。音楽それ自体が一生の目的となるのです。
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一方、ナードヨガは、気づきを得ていくというクンダリーニヨガの目的を達成していくための方法であり、キールタンはそのツールであると見た場合、音楽性や音楽それ自体が問題になるのではなく、言葉と、音を出すという行為自体が問題となってくるとみることが出来ます。
目的や意図を伝えるためには、受け手の言語で伝える必要があるということです。アメリカでは、パンジャーブ語ではなく英語で伝えなければ伝わりません。今回調べた資料も全部英語の記述です。同様に伝える相手に分かりやすい音楽で表現する、というところに繋がったのではないかと思うのです。
実際のところどうなのかは、もう少し深く知りたいと思っているところです。
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音楽を演奏する、歌の伴奏をするということは、その背景までよく理解していないと、本当の意味では出来ない。これは先のマリナ・アーマードさんのツアーでも良く思い知ったことです。
背景にあることが色々飲み込めていないと、底の浅い薄っぺらなものになってしまう。
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書いておいたことで、また新たな疑問も生まれてきたので、今まで触れたことのない世界、シークのことも探求してみるいい機会だなと思っています。