『タブラと姿勢』⑥鍵となるもの

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前回は、自然な姿勢というものについて触れました。

「自然な姿勢には自然な安定がある」
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ひとつ

今まで、身体的な側面から「姿勢」について触れてきましたが、「学ぶ姿勢」などというように、もちろんそれだけではなく、それより重要なこともあります。
そこに触れていく前に、まずひとつ理解しておく必要があるだろうということについて書いておきたいと思います。
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となるのは

「氣」
というもの概念です。
元氣、活氣、やる氣、本氣、病氣、氣持ち、氣が合う、氣になる、氣が抜ける、氣をつけるなど、「氣」という言葉は日常的にもよく使っていますし、日本語にはこの言葉を使う表現がたくさんあります。
つまり、日本人はもともと「氣」というものを感覚的に理解している。
これを聞いた時は、とてもしっくりくる感じがありました。
春の氣配、雨の氣配、秋の氣配…
自然の中にも「氣」を感じている証拠ですよね。

自分が何かを目指す、取り組む上で、個人的なものでない、何か日本人としての美学やアイデンティティを求める、大切にしたいと思う心もありました。

それで、よりしっくりきたのだと思います。

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「氣」

は難しいものでも、怪しいものでもなんでもなくて、生きている限り、本来誰もが持っていて、誰もが出していて、流れているもの。
しかも、「空氣を読む」といった言葉もあるほど、世の中はそもそも「氣」で満ちていて、それが「流れる」か「滞る」かの違いだということです。
東洋医学で「気血」と言われたりしますが、日常的な日本語の中で見つけていくと、より身近で当たり前のものとして感じられます。
なぜ「気」ではなく旧字の「氣」と書いているのかといいますと、「氣」はエネルギーだから、气の中が「〆」はではなく、八方に広がる「米」という文字の方が本来の意味に合致している、ということを聞いたからなのです。
これも、非常にしっくりくるものがありました。
漢字はイメージをダイレクトに伝えてくれます。
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氣が通る

自然で安定した姿勢のためには、まず、全身、頭のてっぺんから指先、足のつま先まで「氣が通っている」ことが必要。
これは「氣が抜けていない」状態ということとも言えると思います。
例えば、疲れているときにだらっとして「氣が抜けている」と余計に疲れてやる氣が出ません。
当然、タブラについても、脱力して「力が抜けている」ことと「気が抜けている」ことは明らかに違うのは容易にわかります。
聞けば当たり前のことですが、あらためて言われてみなければ、よくよく意識したこともなく、つまり知らなかったことでもあります。
氣が通らず滞れば「病気」になり、氣が絶えれば「氣絶」、止まれば死んでしまう。
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氣を出す

また、氣は出せるもので、特別何かをしなくても出ているということもわかります。
「元気出していこう」「やる気をだせ」
出る氣が強ければ「強氣」、弱いと「弱氣」、内にこもれば「内氣」…
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出来る氣

「出来る氣」がしないけど、日々取り組んでいれば近づける。
なにに?
結論から言えば、「出来る氣」がしなければ「出来る」ことはありません。

また、もしかしたら「出来るかも」でも、もしかしたら「出来ないかも」

これもダメでしょう。

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実際、以前の記事『タブラと姿勢』①目的が定まっているかでご紹介したテストで、
「出来る」「出来ない」「出来ないかも」
と言葉を発してみれば、身体とその能力が、どれだけ言葉と気持ちに無意識的な影響を受けているのかに驚かされます。
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もちろん「出来る」とさえ言えばなんでも出来るわけはなく、その時点では「出来ない」こともあるでしょう。
ただ、こういうことが言えると思います。
本氣で「出来る」と思っていない人間には、本質的に誰も何も教えることは出来ない
ということです。
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この続きは、また次回にしていきたいと思います。