Matra タブラワークショップ

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Matra タブラワークショップ

Matra

Matra とは、インド音楽においてリズムの拍を意味します。

オニンド・チャタルジー師匠とオヌブロート先生が、現在精力的に進めているプロジェクト「Matra」は、

「Music Academy for Tabla Research by Anindo Chatterjee」の頭文字M.A.T.R.A

を、このインド音楽の拍・Beatとかけて名付けられています。

粋なネーミングです。


タブラリトリート

Matraプレゼンツによるワークショップは、現在、インド各地、またヨーロッパやアメリカなどでも開催されていて、オニンド師匠は、その自身の持てる膨大な知識と技術を各地の優秀な人材に受け継いでいこうとしています。

「誰の弟子・生徒であっても関係ない。ほとんどのタブラ奏者は友人であるし、その生徒達に対しても自分に出来ることがある。」

色々と流派や派閥、政治的なややこしいことなども、伝統芸能社会なので少なからず存在はしていますが、それらとは距離を置いて、純粋にタブラを追求してきた師匠らしいオープンな意思が伺えます。

受け継いできた伝統に対する深い敬意と、その50年に及ぶキャリアを通して背負う強い責任感。

分かるなどと言えることは到底ありませんが、少しずつそういうことも感じられるようになってきました。

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下のインタビュー動画でもMatraと自身の責任について話しています。

21’30あたり。ヒンディー語なのですが、英語も混じっていて何となく意味がわかります。

Pt. Anindo Chatterjee’s Exclusive Interview


初参加

今回はそのオニンド師匠のワークショップに初めて参加してきます。

前回3月にコルカタに行った時には、このMatraのワークショップを通して師匠の元に弟子入りしたインド各地の若い精鋭達も集まって来ていて、彼らとの交流を通して、伝統を学んでいく姿勢や、師弟関係についても大いに学ぶことが出来ました。

今回も体当たりで身体で学んできます。

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このワークショップの翌週には、インドでは「グルプルニマ」という師匠に感謝を捧げる日があります。


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Zakir Hussain インタビューの衝撃

Category : BLOG

ザキールフセインインタビュー

U-zhaanが聞く!Zakir Hussainインタビュー

http://www-shibuya.jp/sp/feature/006934.php

インタビューを読んでの私見です。


ある重大な事実が

このインタビューからは読み取れる。

インド音楽の中枢にいる人から、日本人(または外国人)がどういうふうに見えていて、インド音楽にとってどういう位置にいる存在であるかという端的な事実だ。
実は君が初めて私のレッスンに来たときも、正直なところタブラをずっと続けていくとは思っていなかったんだ。
たまたま今はタブラに興味があるみたいだけれど、まあそのうちやめてしまうんじゃないかな、と感じていた。そういう人はいっぱいいるからね。
という部分。
「湯沢さんですらそう思われていたのか・・・!?」
もちろん、湯沢さんが不真面目だったり根性がなかったわけではない。
僕の知る限り、湯沢さんほどインド音楽に真摯に取り組み努力している人もいない。
(ザキールジーがインタビューでも触れているタカヒロ(新井孝弘/サントゥール奏者。インド・ムンバイ在住)くんは本当に例外)
センスも能力も全然追いつかないし、その練習量も真似出来るレベルのものではない。
コルカタでは、同じ下宿でそういう背中をずっと見て来ていただけに、上のザキールジーの発言は正直個人的にかなり衝撃的だった。
これがどういうことを表しているかというと、つまり、個人がどうとかいう問題ではなく、日本人を含む外国人が、どれだけインド音楽というものの外側にいるかという事実だ。

もちろん、ザキールジーが意地悪で言っているわけではないことは、その後の発言からも分かる。


現実は何層にも

重なっていて、普通は自分が見えている層しか見えない。

だけど、本当にインド音楽を学ぶ、「タリーム」を得るためには、しかるべき層にある現実と向き合い、受け止めなければならない。その上で努力した場合にのみ、初めて「タリム」を得られる可能性が出てくる。
日本人はインド音楽のものすごく離れた外側にいる。

日本人は、とか外国人は、とかいう括りは、真理としては本当は正しくない。

だけど、その括りを超えられるかどうかは、この認識からスタート出来るかどうか次第だ。

そうでなければ、間違った層をぐるぐると回り続けているだけで、一生近づけることもない。


ネガティブとポジティブ

前にも書いたことがあるけど、こういう認識は全くネガティブなことではない。

むしろ、お花畑ではない現実世界を、どう生きるかというプロセスにすぎない。

自分がどこにいて、どこを歩いていくのか。


「タリーム」

以前Facebookに、NYの兄弟弟子の動画をシェアして投稿した内容

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『本当の知識と智慧は、師との繋がりが生まれた時に初めて得ることができる。 師匠から得られるフレーバー、それを「タリーム」という。』
Pt. Anindo Chatterjee

これが全て。これが得られなければ、その伝統の延長線上にはいないということ。。

ずっと考えてはいるけれど、そこまで辿り着くということは、自分自身の現状から見れば、正直とてつもなく遠く困難なものにも見える。。

NYに住む兄弟弟子は、NYに師匠の学校を創り、毎年数ヶ月間招聘することによって、「タリーム」を得ることと、その機会を人とシェアしていくことを実現している。

数年前に彼から初めて学校のことを聞いたときは、師匠を数ヶ月も独占するために学校をやるなんて、強欲だしなんて自己主張が強いんだろうと正直思ってしまったことを覚えている。

でもこれは、今ディプトニル来日に際して触れている、かつてアメリカ人が、アリ・アクバル・カーンをカリフォルニアに引き留めることに成功したこととリンクして見えてくる。

アメリカ人と一括りにしてはいけないかもしれないけど、師であれ何であれ、お上に盲目的に従うことを美徳としがちな日本人が見習うべきことが、ここには確かにあるのではないかと思う。

インド音楽がこの国で発展しない理由も見えてくる。

本質は自分で取りに行く。

本当の学びとはそういうことだ。

賢明な師はそれを認め智慧をシェアする。