『タブラと姿勢』⑦心と身体と無意識と
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前回は、「氣」というものに触れました。
元氣、活氣、やる氣、本氣、病氣、また自然の中にも、春の氣配、雨の氣配、など…
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とはいえ
「氣」だけでは、、
「元気があればなんでもできる」
という有名なフレーズもありますが、
でも、元気だけでは、やる気だけでは当然できないこともあります。
それに必要な身体的技術が伴わなければ、お話にはなりません。
タブラはもちろん叩けません。
「氣合」だけで自転車に乗れるようになったわけではなく、訓練して無意識的に乗れるようになっています。
身体が無意識的に出来るようになったら、その身体を動かしているものは、もう「氣合」なわけではないですが、「氣が通ってる」から転倒せずに乗っていられます。
そして今度は、どこに行こうと思う心が身体を動かす、というのが順序。
思う前に身体が勝手に自転車をこいでいたらあぶないですね…
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心身の姿勢
身体の姿勢にたいして、「前向きな姿勢」「後ろ向きな姿勢」というように、心の姿勢と言われるものがあります。
身体の姿勢は、心の姿勢にも影響を及ぼしているので、身体が崩れていると、それは心にも影響を及ぼしています。
だから、「身体を整えることで心を整える」というのもよく聞く言葉です。
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身体で覚える
一方で、理屈ではなく、「身体で覚える」ということも沢山あります。
音楽も本来そうだと思います。
だから、頭も身体の骨や関節も固まっていない、幼少のうちから訓練するのです。
でも、それを言っても始まらないので、「身体で覚える」ということを、矛盾するようですが、どういうことか考えて理解してやる必要があると思います。
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無意識に入れる
「身体で覚える」ということは、言いかえれば「無意識に入れる」ということです。
無意識に正しくストンと入れてやる必要があります。
何が正しいかは、結局その目的設定によるので、これがまず重要だということにはシリーズ第①回で触れました。
ストンと入れると言っても、実際には、繰り返しの訓錬と修正、そしてまた訓練という継続した取り組みが必要になるのです。
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この無意識に入れてやる感覚を掴むための、第③回で触れた、やったことのないことをしてみる、またやったことのないことをしているつもりでやる、ということなのだと思います。
まっすぐ最初から入ってくれれば問題ないわけですが、違う形で誤って覚えてしまうこともあります。
それを入れ直すための工夫なのだと思います。
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もうひとつ、
無意識には意外と「簡単にものが入ってしまう」ということも知りました。
だからこそ、そのときの心の向け方、使い方が非常に大事になってくるということです。
たとえば、目的意識もないまま、テレビをだらだらと見ていると、必要でないものまで無意識に蓄積されてしまいます。
また、感情に任せて子供を叱ってしまうのも、子供に言われている訳と目的が伝わっていれば別だと思いますが、「なんでできないの」「どうしていつもだめなの」といった類の言葉は、子供の無意識にどんどん「できない」「だめ」が刻まれていってしまうので、非常に危険だと想像出来ますよね。叱る側も、目的が見えなくなって意図とは逆の行動・言葉を無意識的に使っているかもしれません。
少しそれましたが、つまりここでは、目的設定が曖昧だと「無意識には別のものが入ってしまう」ということを言いたいわけです。
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心をしっかり向ける。
スマホを見ながら歩けば危ないですし、スマホを見ながら食事をすれば味も思い出せませんよね。心はスマホの方を向いている。
やりたくない、嫌だけどやらなければいけないことも沢山あります。
でも、心をそむけたままやっていると身体のパフォーマンスがものすごく落ちる、疲れる、しんどい、そして場合によっては危ない。
心の使い方。
目的と心がしっかり重なってはじめて、身体は本来のパフォーマンスをしてくれる。
ステージでも、目的と心の使い方が一致していないと、余計な緊張にとらわれたりしてしまう。
学ぶときにも、これが一致していないと「身体で覚える」ことはできない。
これが「心の姿勢」
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このシリーズは、自分が学んだこと、実践していくべきことを整理しながら書いています。
次回は、「学ぶということ」氣・心・身体について、少しまとめていきたいと思います。